ここからは舟に乗っていた女性についての見分です。
五日程生きて居り候所、其内食物をくれ候得ども食ハず。
「五日ほど生きており、その間食物を与えたが食べなかった。」
いきなりネタバレになってしまいますが、実はこの女性、最後は死んでしまいます。
ここも他の資料とは違う点ですね。
他の資料では、たとえば馬琴の兎園小説だとまた舟に戻されて海に流されますが、それ以外の資料では、結局その後女性がどうなったのか語られないままウヤムヤに終わるのが大半です。
この資料では、「五日程生きて居り候」とありますように、漂着して五日後に亡くなるのですが、その場面は最後に出てきますので、またいずれ。
「食物をくれそうらえども食ハず」と、食料を与えたものの、全く手をつけなかった様子が記録されています。
練り物の入った壷が有った、というこのくだりは、他のほとんどの資料にも共通して出てきますね。
なかには、「肉を漬けたるもの」(鶯宿雑記)、「丼に練りたるもの」(梅の塵)など微妙に違うものもありますが。
日本ノ人を見て手ヲ合セ何か申候得共(もうしそうらえども)一向わからず
「手を合わせて」という部分が興味深いですね。この女性は仏教系の国から来たのでしょうか?これも他の資料には見当たらない表現で面白いです。
ただ、やはり言葉は他の資料同様、通じなかったようですね。
南の方(かた)に向て何か申せしが是又わからず
「南の方」というのがたまたまそっちの方を向いただけなのか、それとも「南方からの漂着民」という先入観を持っていたためそのように記録したのかわかりませんが、これも他の資料には出てこない面白い部分ですね。
さて、ここまでをまとめますと漂着した女性の様子は
- 五日ほど生きており、その間食物を与えたが食べなかった。
- 練り物を入れた壷を持っていた。(それしか食べなかった?)
- 日本人を見て手を合わせて何か話したが、何を言っているか分からなかった。
- 南を向いて何か喋ったが、これも分からなかった。
このようだったとのこと。
欲を言えばもっと詳細に記録しておいて欲しかったところですが、まあこればっかりは仕方ないですね。
それでも、これまでのうつろ舟関係の資料と比べて、簡潔な文章ではありますが内容はたいへんユニークであることがお分かりいただけたかと思います。
さて次回はいよいよ大詰め、最終章です。
(「江戸時代の浮世絵にUFO!?うつろ舟の謎 (9)」につづく)