今回は地名探しです。
うつろ舟事件が、実は常陸の国ではなくて安房の国で起きていたと仮定するなら、多くの資料で漂着場所とされる「はらやどり」または「原舎浜」についてもまた同じく常陸の国ではなくて安房の国、房総半島のどこかに存在する可能性があると考えられます。
そしてこれがもし予想通りに発見できたなら、従来の定説を大きく覆すことになると同時に、これまで常陸の国で「はらやどり」が全く見つからなかった理由も簡単に説明がつくことになります。
さて、そうはいったものの、200年も前の地名を探すのは容易ではありません。より確実な検証を行うためには、おそらく現地での調査も必要になってくるでしょう。
今回はそこまで大掛かりな調査は行えませんので、とりあえずアタリをつけるために、時代は少々ズレますが天保十四年当時の比較的詳細な地名が記載された地図、「富士見十三州輿地之全圖」で調べてみることにしました。
※ 筑波大学附属図書館のサイト(http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/pub/kaken/kaken16-map/index.html)で確認できます)
■はらやどり探し
まずは「はらやどり」もしくは「原舎浜(はらとのはま)」にズバリ該当する地名がないかチェック。
「ハラ~」とか「~ヤドリ」とか「~濱」とつくような地名を、目を凝らしながらぐるっと探してみましたが、さすがにそのものズバリの地名は見つかりませんでした。ザンネン…。
(▼この「波左間」とか「濱」って地名は、語感的にちょっと気になりますけどね)
そこでこんどはちょっと捜索対象を変えてみます。
「原舎浜」ですが、地名に「舎」がつくのはおそらく駅舎か旅舎、つまり「宿」に関する地名ではないかと思われます。
そうすると「原舎浜」は「原の宿場の浜」といった意味になるでしょうか。まさに上の「宮/浜の旅舎」の浮世絵のような、のどかな浜べりの宿場風景の場所だったのかもしれません。
そういえば、「はらやどり」も「原(はら)」「宿(やど)」を暗示させる名前ですよね。
ならば、「原」または「原宿」といった地名がどこかにあるはず。
意気込んでもういちど探してみると、平群郡のところに確かに「原」は存在しました!
はたしてここが事件の舞台、原舎浜なのでしょうか?
残念ですがこれ以上のことは現地調査でもしないと詳しく分かりませんので、まずは手がかりを掴んだということで、「原舎浜」の捜索はここで一区切りとしておきたいと思います。
そもそも今回の古文書には「原舎浜」も「はらやどり」も登場しませんので、これ以上時間と労力をかけるのは止めておきます。
■漂着地発見!?
それよりも、「原舎浜」を探していてもっと興味深い地名を見つけました。
「湊」というところです。先ほどの「原」からもそう遠くはありません。ほんの少し南東に移動した場所です。
ちょっと資料の原文を思い出してください。『小笠原越中守様御知行処、房州の湊に』のところです。
これはそのまま読めば、「房州のとある湊(港)に」と、漠然とした表現で、これではどこの港かは特定できません。
しかしそうではなくて「房州の湊(の地に)」と読むのだとしたらどうでしょう。
事件は「とある湊」という漠然とした表現ではなく、実はこのように「湊」(もしくは湊村)という具体的な地名を指していた、とは考えられないでしょうか。
別の地図、豆相武房總沿海圖にも「湊村」の表記が見えますね。(こっちの地図は南北が逆なのでご注意を。)
もし館山市に行く機会があれば、湊の歴史や漂着事件の記録などぜひじっくりと調べてみたいものです。
さて、今回の地名探しはとりあえずここまで。次回はまた本文に戻って先に読み進もうと思います。
(「江戸時代の浮世絵にUFO!?うつろ舟の謎 (7)」につづく)