お待たせしました。今回からいよいよ本文の方に入っていきます。

■事件は常陸の国ではなかった?

享和三年二月五日小笠原越中之守様

冒頭から大変重要なことが書かれています。

一、享和三年二月五日、小笠原越中守様
御知行所、房州の湊ニ如此舟吹付。

「享和三年二月五日、小笠原越中守様の御知行所、房州の湊に、このような舟が漂着した」とあります。
事件が享和三年(1803)二月五日に小笠原越中守様の知行所で起きた、と。日付の細かい違いはありますが、ここまではこれまで見てきた他の資料とほぼ同じですね。

問題はその次です。

「房州の湊ニ」

なんと、物語の舞台が従来の「常陸の国」ではなく、「房州」つまり安房の国で起きた、と言っているのです。
これはいったいどういうことでしょう。

ちなみに従来の資料では例外なく「常陸の国」が舞台となっています。

  • 曲亭馬琴「兎園小説 うつろ舟の蠻女」
    「享和三年癸亥の春二月廿二日の時ばかりに、當時寄合席小笠原越中守(高四千石、)知行所常陸國はらやどりといふ濱にて、沖のかたに舟の如きもの遥に見えしかば…」
  • 長橋亦次郎「梅の塵」
    「享和三癸亥年三月二十四日、常陸の國原舎濱と云處へ、異船漂着せり。」
  • 駒井乗邨「鶯宿雑記」
    「享和三年亥八月二日常陸国鹿嶋郡阿久津浦小笠原越中守様知行所より訴出候に付…」
  • 木版摺物(作者不明、船橋市西図書館蔵)
    「去亥二月中かくのことく舟沖に相見へ申候所又志ばらく見へ不申候 然ル此度 小笠原越中守様御知行所常陸國かしま郡京舎ヶ浜へ…」
  • 「漂流記集」(著者不明、西尾市岩瀬文庫蔵)
    常陸國原舎ヶ浜と申所へ図の如くの異舟漂着致候」

常陸の国はいまの茨城県。安房の国はいまの千葉県南端。大きく食い違っています。

さて、この問題を考える前に、まずは順を追って「小笠原越中守」から見ていきましょう。

■小笠原越中守

事件は享和三年に起きていますので、その享和三年の武鑑を見てみます。

享和三年武鑑

享和三年武鑑より 小笠原越中守

ありました。確かにこの当時、小笠原越中守は実在していたようです。
寄合衆ですから役職は持っていなかったようですね。知行四千五百石はなかなかの家禄ではないでしょうか。

さて、この小笠原越中守の知行地は、「江戸幕府旗本人名事典」によると
江戸幕府旗本人名事典
小笠原越中守の知行地は「伊勢 常陸」となっています。
従来の資料で「小笠原越中守の知行処、常陸の国」と記述されていたのは、確かに正しかったようです。
しかし、今回の新資料で書かれている「房州(安房)」は越中守の知行所として記録されていません。

小笠原氏は江戸後期~幕末にかけて房総半島の海防を担っていますし、また古くからこの地とも縁があるようですが、ただご覧のように越中守の知行地と安房とは結びつきません。

では、房州の知行はいったい誰だったのかと調べてみますと、
江戸幕府旗本人名事典2
房州(安房)の知行は小笠原安房守となっています。越中守ではありませんね。

つまり、記録上は「小笠原越中守の知行地 ≠ 房州」ということですから、この資料に書かれている「小笠原越中守様の御知行所、房州の湊…」という記述は明らかにおかしいということになります。
従来の他の資料ではこの部分、事件が「小笠原越中守の知行処の、常陸の国で」となっていましたから、そういう意味では他の資料の方が整合性がとれています。
ということは、やはりこの新資料はマユツバものということなのでしょうか?
いえ、必ずしもそうとはいえません。


■漂着地の謎

小笠原越中守の知行地は常陸の国。これまでのうつろ舟事件は全てこの常陸の国で起きていて、この点に関して何の問題もないように思えます。
しかし、一つ大きな疑問があります。

常陸の国での小笠原越中守の知行地は、実は内陸部であって、沿岸部ではないのです。

これはおかしな話です。

うつろ舟は海から「漂着」して、最後はまた「海に帰された」のですから、事件は当然海岸で起きているはずです。なのに、小笠原越中守の知行地は沿岸部ではなく、海に面していない内陸部。
いったいどうやって内陸部に舟が「漂着」できるのでしょう?
また、漂着地とされる「はらやどり」、「原舎浜」の地名についても、常陸の国にこれまで該当する地名はどこにも見つかっていません。

では、事件がもし常陸の国ではなく、この資料のように「安房の国」で起きていたとしたらどうでしょう。
ご存知のように安房の国は太平洋に面した江戸の玄関口。
異国船が漂着しても何ら不思議はありませんし、実際にそうした漂着事件も起きています。

さて難しいところです。
他の資料に書かれている「小笠原越中守の知行処、常陸の国」が正しいと考えるなら、「内陸部に舟が漂着した」という問題にぶつかります。
一方、今回新たに出てきた「安房の国で起きた」と考えるなら、漂着地の問題はクリアできますが、「越中守」をどう解釈するのかという問題にぶつかります。
(もちろん、単純に『安房守』を『越中守』と誤記した可能性も考えられますが)

みなさんはどう考えますか?

いずれにしても、この問題はそう簡単には解けそうにありませんので、今後の宿題ということで、ひとまず保留とさせていただきたいと思います。

さて、小笠原越中守に関する疑問は残りますが、資料に従って事件が常陸の国ではなく、安房の国で起きたという前提で話を進めさせていただきます。
そうなると、これまで常陸の国で見つからなかった「はらやどり」、「原舎浜」の地名も、もしや房総半島のどこかにあるのではないか、という推理も成り立ちます。

というわけで、次回は安房の国での「はらやどり」探しです。

「江戸時代の浮世絵にUFO!?うつろ舟の謎 (6)」につづく)