今回は古文書ではなく和本の記事から。
ご紹介するのは江戸時代版・猫の恩返しともいえる、「飼猫が恩人の主人を危機から救う」というお話。
面白いことにこれも「うつろ舟」同様、似たような話がいくつかの文献に掲載されています。
今回は「閑窓瑣談」と「奇説著聞集」、「耳嚢」の三点から引用しましたが、ひょっとして探せばまだ他の文献にも見つかるかもしれません。

話の舞台が、「閑窓瑣談」では遠江国の古寺、「奇説著聞集」と「耳嚢」では大阪の町人の家と、多少の違いはありますが大まかなストーリーは共通しています。

  • 飼猫が夢に現れて、主人(家族)の身に危険が迫っていることを知らせる
  • 主人の命を狙うのは化け鼠。一匹ではとても歯が立たないため、助っ人の猫を呼ぶ
  • 猫二匹vs化け鼠で激しい死闘の末、どうにか鼠を倒す

というパターンです。
うつろ舟ではないですけど、きっと何か元ネタとなった話があるのだろうと思います。

それでは、まず「閑窓瑣談」に収録されたお話からご紹介。

「閑窓瑣談」教訓亭定高(為永春水)著

一巻 第七 猫の忠義

「閑窓瑣談」(為永春水) 一巻 第七より「猫の忠義」 /当サイト所蔵

「閑窓瑣談」(為永春水) 一巻 第七より「猫の忠義」 /当サイト所蔵

「閑窓瑣談」 教訓亭定高(為永春水)著/天保12(1841)

一巻 第七 猫の忠義

遠江国榛原郡御前崎といふ所に高野山の出張(でばり)にて西林院といふ一寺あり、此寺に猫の墓鼠の墓といふ石碑二ツ有り。そもそも此所ハ伊豆の国石室崎志摩国鳥羽の湊と同じ出崎にて沖よりの目当に高燈籠を常燈としてありたれバ、西林院の境内にある猫塚の由来を聞に或年の難風に沖の方より船の敷板に子猫の乗たるが波にゆられて流れ行を西林院の住職ハ丘の上より見下して不便の事に思ハれ舟人を急ぎ雇ひて小舟走らせ既に危き敷板の子猫を救ひ取やがて寺中に養れけるが畜類といへども必死を救ハれし大恩を深く尊ミ思ひけん住職に馴てその詞(ことば)を能聞解片時も傍を放れず斯る山寺にハなかなか能伽を得たるここちにて寵愛せられしが年をかさねて彼猫のはやくも十年を過し適れ逸物の大猫となり寺中にハ鼠の音も聞事なかりし。
さて或時寺の勝手を勤める男が縁の端に轉寝(まろびね)して居たりしに彼猫も傍に居て庭をながめありし所へ寺の隣なか家の飼猫が来て寺の猫に向ひ日和も宜しけれバ伊勢へ参詣ぬかといへバ寺の猫が云、我も行たけれど此節ハ和尚身の上に危き事あれば他へ出難しといふを聞て隣家の猫ハ寺の猫の側近くすみ寄何やら囁き合て後に別れ行しが寺男ハ夢現のさかひを覚ず首をあげて奇異の思ひをなしけるが其夜本堂の天井にて最(いと)恐ろしき物音し雷の轟くにことならず此節寺中にハ住職と下男ばかり住て雲水の旅僧一人止宿て四五日を過し居たるが此騒ぎに起も出ず住持と下男ハ燈火を照らして彼是とさハぎけれども夜中といひ高き天井の上なれバ詮方なく夜を明しけるが夜明て見れバ本堂の天井の上より生血のしたたりて落けるゆへ捨おかれず近き傍の人を雇ひ寺男と倶に天井の上を見せたれバ彼飼猫ハ赤に染て死し又其傍に隣家の猫も疵をこうむりて半バ死したるが如く夫より三四尺を隔りて丈け二尺ばかりの古鼠の毛ハ針をうへたるが如きが生じたる恐ろしげなるが血に染りて倒れいまだ少しハ息のかよふ様なりけれバ棒にて敲き殺しやうやうに下へ引きおろし猫をバさまざま介抱しけれども二疋ながら助命ず。彼鼠ハあやしひかな旅僧の着て居たる衣を身にまとひ居たり彼是と考へ察すれバ旧鼠が旅の僧に化て来り住職を喰ハんとせしを飼猫が舊恩の為に命を捨てて住職の災いを除きしならんと。人々も感じ入やがて二匹の猫の塚を立て回向をし鼠も最恐ろしき変化なれバ捨おかれずと住持ハ慈悲の心より猫と同じ様に鼠の塚を立て法事をせられしが今猶伝えて此辺を往来の人の噂に残り塚ハ両墓ともものさびて寺中に在。
-予が友人伝庵桂山遊歴の時に彼寺にいたりて書とどめしを此に出せり

「閑窓瑣談」一巻より 西林院の住職子猫の必死を救ふ

「閑窓瑣談」一巻より 西林院の住職子猫の必死を救ふ

【現代語訳】

遠江の国、榛原郡御前崎(現在の静岡県御前崎市)に高野山の分寺である西林院という寺があり、そこに「猫の墓」、「鼠の墓」という2つの石碑があるという。
そもそもここはどういうところかというと、伊豆の国の石室崎や志摩国の鳥羽の港と同じく出崎になっていて、灯台がわりの大きな高灯篭が置かれているような場所である。
これからお話しするのはその西林院の境内にある猫塚の由来によるものである。

「閑窓瑣談」猫の忠義

ある年の嵐の日のこと、丘から下を見ていた住職が、荒れた海の沖で子猫が船板につかまって波にもまれながら流されているのを見つけた。
不憫に思った住職は、すぐに人に頼んで小船を出させ、危ういところで子猫を助け上げた。
猫は寺で飼われることになったが、こんな動物でも命を助けてもらった恩を強く感じたのであろうか、猫は住職になついていうことをよく聞き、少しもそばを離れようとしなかった。
こんな寂しい山寺では貴重な話し相手でもあるのだろう、猫はたいへん可愛がられながら、あっという間に十年ほども過ぎて立派に育ち、おかげで寺ではすっかり鼠の気配もなくなったという。

さて、ある時のこと。寺で働く男が縁側でうとうとと昼寝をしており、その傍では猫が庭を眺めていた。
するとそこへ隣の家の猫がやってきて、寺の猫に向かって「よい日和だし、いっしょに伊勢まいりにでも行かないか」と言うと、寺の猫は「いっしょに行きたいのはやまやまだが、実はこのところ和尚の身に危険が迫っているので、ここを離れるわけにはいかないのだ。」と答えた。
それから二匹の猫は近づいて、なにやらひそひそと相談をして分かれた。

寺男はそこで目を覚まし、夢うつつでいまの出来事を不思議に思っていた。

その日の夜のこと。
本堂の天井あたりから突然、まるで雷のような恐ろしい轟音が寺中に響きわたった。
寺にはそのとき住職と下男、そして四、五日前から泊まっている旅の僧がいるだけだったが、その僧はこの騒ぎにも起きてこず、住職と下男だけで明かりを持って何事かと様子を見に行った。しかし、なにしろ深夜のことで高い天井の様子は暗くてわからず、仕方なく夜が明けるのを待つことにした。
やがて夜が明けて見てみると、なんと本堂の天井からポタポタと血がしたたり落ちているではないか。これは一大事とすぐに近くの人を呼んで寺男といっしょに調べさせたところ、あの飼猫が赤く血に染まって息絶えており、その傍らで隣の家の猫も傷を負って虫の息であった。
そして1メートルばかり離れたとろこに、針のような毛が生えた身の丈60cmほどもある古鼠が血まみれで倒れていたが、まだ息があったようなので棒で叩いてとどめをさした。

ようやくの思いで下に降ろしたものの、猫たちは必死の介抱にもかかわらず、けっきょく二匹とも助からなかった。
鼠は、どういうわけか旅僧の着ていた衣を身につけており、察するにこれは古鼠が旅の僧に化けて住職を食おうとしたのを、飼猫がかねてからの恩に報いるため命をかけて災難から守ってくれたのであろう。
人々はこのことに大変感動し、二匹の墓を立てて手厚く葬った。また古鼠についても、このような恐ろしい化物を放ってはおけないと、住職は慈悲の心から猫と同じように塚を建てて弔った。
この出来事はいまだに近辺の人々によって語り継がれており、二つの塚もずいぶん古びてしまったけれども、いまでもちゃんと寺にあるという。

- この話は、私の友人の伝庵が桂山へ訪ね歩いたおりにこの寺で書き記したものである。


なんとも不思議で、また恐ろしい話ですね。
身を挺して守ってくれた猫たち、残念な結末でかわいそうでした…。(ノ_・。)

ところでこのお話、舞台となった御前崎ではけっこう有名なのか、いまでもちゃんと「猫塚」、「ねずみ塚」があるのだそうですよ。

http://www.geocities.jp/bassfreaking/Syuhen_annai.htm

地元では西林院ではなく、遍照院というお寺でのお話、と伝わっているようですね。
興味のある方は実際に現地に尋ねてみてはいかがでしょう。

さて、次回も同じようなお話をご紹介します。お楽しみに!
(その2につづく)